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ひとりごと

自分の存在価値を否定しないでほしい【高校生向け】

自分って生きてる意味あるんかな。なんのために生活してるんやろ。

などと、自分の存在価値について悩んだことはありませんか?

 

僕はあります。

 

学校での友人関係がうまくいかない。

勉強ができないスポーツができない。

 

自分の存在価値を疑う時期は誰にでも訪れるものです。僕は、大学生になった今も、自分の存在価値について考える事が多いです。

 

さて、存在価値について特に頭を悩ませたのは高校3年生18歳のセンター試験直後でした。

もう死んでもいいとさえ思いました。

 

誘惑を断ち切って懸命に勉強したのに、結果を出せなかった自分の実力にうんざりする。全ての努力は無駄で、自分には才能がないんだ。

生きてる価値があるのかすら怪しい。

そんな風に自分の存在価値を否定していました。

 

そんな時、この詩を思い出しました

「鎮静剤」

マリー・ローランサン                 堀口大學 訳

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。

悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。

不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。

病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。

捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。

よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。

追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。

死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

この詩との出会いは、某〇進衛星予備校の〇先生が行っている現代文の授業でした。

 

映像授業の画面越しにこの詩の存在を教えてくれます。中でも、最も強く語ってくれたのが

死んだ女より もっとも哀れなのは 忘れられた女

という一文。

 

自分がおかれている環境を振り返った時に、めちゃくちゃ幸せだなって感じました。

そして、今の自分がいる事が当たり前だと思っていたことを恥じました。毎日お父さんとお母さん、妹弟と顔を合わせられる。学校で友達と会える。勉強できる。スポーツができる。怒られる。褒められる。文句を言える。成長できる。帰る家があって、布団にくるまって寝ることができる。

そして、自分が死んで悲しんでくれる人がいる。

 

それは、自分がどこかで誰かの生活の一部になっているということ。誰かの中に確かに存在しているということではないかと思います。

 

死んだ女より もっとも哀れなのは 忘れられた女

 

周りを見渡してみると自分を必要としてくれる人がいるのではないのでしょうか。自分が死んで悲しんでくれる人が。

 

自分の存在価値がわからなくなったら、一番身近な人のために生きてみるのも悪くないのではないでしょうか。

あなたを必要としている人は必ずいます。

それでは。