1度に口から出しちまった言葉は、もう元には戻せねーんだぞ・・・
言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると、やっかいな凶器になる・・・
言葉のすれ違いで一生の友達を失うこともあるんだ・・・
「言葉は刃物」はコナン史に残る名言です。
何となく放った一言で誰かを傷つけてはいないか。。
感情に身を任せた言葉で周囲を不快にさせてはいないか。。
人生は良くも悪くもたった一言で変わってしまうことがありますよね。もしかするとあなたの人生も誰かの一言で変わってきたのかもしれないし、あなたが放った一言で誰かの人生を変えてしまったかもしれない。
言葉は刃物であるという言葉にならい、改めて言葉が持つ力を振り返っていきます。
言葉は刃物である
初めにお願いがあります。どうしてもです。
ふとした言葉でさえ時には凶悪な刃物になりえます。これを頭の片隅から無理矢理ド真ん中に持ってくる勢いで覚えておいてほしいのです。
このページでお伝えしたいことは、家庭・学校・バイト先・職場で良好な人間関係を保つために丁寧な感情任せではない言葉遣いを心掛けてほしいということです。
そして、あなたが放った言葉という刃物で誰かが傷ついたとして、あなたはその責任をどう取るつもりなんだという投げかけでもあります。
さて、「言葉は刃物」というフレーズですが
このフレーズを耳にしたことがあるという方は非常に多いのではないかと思います。
これは、劇場版「沈黙の15分」のコナンから光彦・元太へのセリフです。
光彦と元太が原因をお互いに押し付けあうところから始まり、最後には人格を否定し始めます。
些細なことで始まった口論ですが徐々にエスカレートしていき取り返しのつかないことになる一歩手前でコナン君が止めに入りました。
ココで怖いのは、口論の原因と何ら関係のない人格を否定し始めることです。
感情的になっていることを自覚し、出かかった言葉を飲み込むことで相手の心に傷がつかなくて済むことがあります。
それをわかっていて口に出すようなパターンは人間的に論外なので直ぐに円を切りましょう。前置きが長くなりましたが、それらの願いを伝えるべつらつらと文字を重ねていきたいと思います。
言葉による「痛み」の定義
私たちは、「痛み」をどう定義すればいいのでしょうか?
人は物理的な攻撃を加えられるとその痛みは何かしらの形になって目に見えるように現れますよね。
例えば相手の頬を打つと赤く腫れ、タンスに足の小指をぶつけると骨が折れます(経験談)。お腹を殴ると痣ができますし、手首をカッターで切ると血が飛び出します。
物理的な攻撃はそのダメージ量が可視化できるため、周囲の人間はその症状の深刻さに気付くことができるでしょう。
しかしながら、言葉による精神面ダメージは可視化できません。
例えば、小中学校でよく言い合った悪口や全く根拠のない噂。口喧嘩での一時の感情に身を任せた過剰な罵詈雑言。無知なためにもたらされた失言など様々です。
これらの言葉によって不快な気分になったり、何を信頼すればよいのかわからない状態になったりという経験をされた方が多いのではないかと思います。
不意に浴びせられた悪口は、何度も頭の中で繰り返されます。
そして記憶に残りやすいのです。
頭の中で思い返される度に、言葉には表すことのできない、形容できないほどの悲しみに襲われます。
これは気持ちの痛みですよね。ちゃんと「痛い」のだと僕は思います。
要は、物理的な攻撃によってもたらされる「痛み」であろうと、言葉によって引き起こされる悲しみ寂しさもどかしさであろうと全部ひっくるめて「痛み」なんです。
もしそうじゃないとしたら、言葉という刃物によって傷をつけられた人たちを我々はどう助ければいいのでしょう。
言葉の痛み
先述した通り、言葉によってもたらされる精神的ダメージは可視化できません。
これは周知の事実ですが、他人との会話や特に口論の際にこの事を念頭に置いて冷静な言葉選びができている人はこの国にどの程度存在するのでしょうか。
口論の際、我々は優位に立ちたいがために相手を傷つけ貶める事を無意識に選択しているのだと思います
僕は口論までの過程とその際の言葉遣いにその人の人間性が滅法よくあらわれると考えています。
どういうことかというと、そもそも口論が起きるのは両者に何かしらの落ち度があり、それを認めまいとする意地の張り合いである事が多く、そのほとんどは感情を抜きにして客観的に判断するとスッと解決できるものが多いからです。
つまり、口論は感情整理ができていない故の出来事であり、逆に言うと冷静さを失ったときにその人の本性や未熟さが表出されやすいということです。
(注:一方的なブチギレ事案はここでいう口論の中に含まれず、論外となります。)
皆さんは感情の整理ができていない状態で発した言葉によって、相手を傷つけたことはないでしょうか。
まぁこれは愚問ですね。あると答える人は自身の経験としてあるのだろうし、ないと答える人は自覚がないのだろうと思います。
要は誰しもが言葉という刃物の被害者であり、気づかぬうちに加害者になっているということです
自分がやられて嫌なことは人にするなという言葉があるように、言葉が与える痛みを理解することができれば良好な人間関係を築くことができるのではないかと思います。
言葉は刃物なんだ
言葉は刃物だということは僕の人生を通して痛切に感じてきました。
幼い頃に親父から
と激怒されて以来ずっと(引きずりすぎ)自分に自信を持てずにいます。
全部お前が悪いんやからな
といわれたときの親父の顔は今でも忘れることができません。十数年間ずっと頭の中をループしています。
もちろん親父は気が付いていません。
もし言葉によるダメージが可視化されるのなら、本当に伝えたいことは柔らかな口調で丁寧に伝えるという事が当たり前という風潮になりうると思うのですが、そんな世界ならもう何も言えない退屈な世界になってしまいます。
いじめなんかでもそうですが、いじめる側は自分がやっている事の重大さに気が付いていないんですよねいじめられている側は心に重大な傷を負い、その後の人生に支障をきたすことが多いと思うのです。
何をするのにも、あの時に言われたあの言葉が行動を邪魔するという結果にはなりえないでしょうか
言葉という刃物でグサグサと相手の心を刺し、再起不能なまでの症状に落とし込み、その後の人生は知らんぷりなんてことは許されないわけです。(表現が偏りすぎていて申し訳ないです)
感情的になったその瞬間こそ言葉の扱い方には気を付けるべきなのは、人を傷つけてしまうだけではなく信頼も失ってしまう可能性があるからです。
僕にも心当たりがよくありますが。。。
汚い言葉遣いをする人はただでさえ信頼されないのですよね。
普段温厚な人がいきなり感情的な言葉遣いをするのもかなりの減点対象ではないでしょうか。
逆上して刃物を振り回すような人の近くには身を置きたくないですもんね(例えがイチイチ偏見)
まあ、言葉は刃物だということを理解しておけば周囲の人たちを下手に人間関係で頭を悩ますことはなくなりますし、信頼もそれなりに獲得していけるでしょう。
口論の際は特に注意が必要ですね。
最後に。言葉は凶器である。
かなり迷走しましたが、かなりここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
言葉は刃物という言葉の意味を少しでも知っていただけたら幸いです。
口論の際は是非とも冷静になって相手方とお話をしていただきたいですし、お子さんを教育される際には丁寧に柔らかい口調で伝えてあげてください。
一時の感情で刃物のように尖った言葉が飛び交うことないよう一層気を付けていきたいと思うと同時とに、これからの世代にも少しずつ伝えていくことができればと思います。